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「STAR WARS EpisodeVIII: THE LAST JEDI」#1 [(ネタバレ注意) プレイ日記]

スターウォーズ: 最後のジェダイ」を見てきました。
例の如く指摘させていただきますが、鑑賞後に改めてみるとこの邦題はおかしいですね。
「: THE LAST JEDI」を直訳すれば確かに「: 最後のジェダイ」となりますが、日本語の「最後」は「終わり」を示す言葉であるのに対して英語の「LAST」は「THE」が付くことで「最後」とは別の意味も含まれてきます。
それらのなかにはハッキリさせるとネタバレとなり得るものも含まれてますし或いは様々な意味を内包させておいた方が適切な場合も有りますから、仮に私に邦題をつける権限があったとしたら、ここは敢えて「: ラスト・ジェダイ」としておいた方が好かったのではないかと思います。←「: ファントム・メナス(←『朧げな脅威(≒シディアス=パルパティーン)』とも『見せかけの脅威(≒通商連合)』とも訳せちゃいますw)」の前例もありますしね!
タイトルやポスターにシスを連想させる赤を強調したり副題に広義な「THE LAST」を用いた辺りはLUCASFILMも敢えて誤解を招くように仕向けてるのではないかと思われますが、でもだからこそ「最後の」と訳してしまうのは誤りだと思います。←実際、「最後」じゃないのですしw
(C) LUCASFILM LTD.

さて今回は、本来なら字幕版をTCX×3D×ドルビーATMOSで見たかったのですが、私が確認した範囲で3D上映されている劇場はMX4Dか吹替版しか見当たらず、そのため消去法で一般的な2D字幕版を見てきました。
それにしても毎度のことながら、3Dで制作された映画を原語で3D上映してくれる劇場が少ないってどういうコトなのでしょう?私の嗜好ってそんなに世間ズレしてるのでしょうか?

まぁ、今回はけっこう好い席を取れましたしもともと映像や音響の迫力に定評のある「スターウォーズ」シリーズですから2Dでも充分迫力ありましたが、劇場から出た私の第一声は「やりやがったな」です。好くも悪くも裏切られました。
映画史に燦然と名を遺すシリーズの最新作であり大ヒットを約束された本作だからこそ、今回はまずオールドファンの立場から苦言を述べさせていただきましょう。

「: 最後のジェダイ」では何よりもまず、フォースの描かれ方に違和感を覚えました。
本作はもちろんのこと「: 帝国の逆襲」でもヨーダが説明してくれてましたから、私だってフォースがジェダイやシスだけの特殊技能じゃないことは充分理解できてます。←でも才能ある者が相応の修行を経なければ技能として使いこなせないはずで、それは「不世出の天才」と讃えられたアナキンやその途絶した希望を回帰させたルークも例外ではありませんでした。だからこそジェダイやシスは畏敬や畏怖の対象として一目置かれていたのです。
前作「: フォースの覚醒」でろくに修行経験のないレイがフォースを使いこなした際も違和感を覚えましたが、本作「: 最後のジェダイ」ではついに、明らかに修行経験のない子供が日常的にフォースの技を使って見せますし、或いは手解きを受けていた可能性はあるもののジェダイでもシスでもない者が爆風と共に吸い出された虚空からフォースを用いて生還します。かと思えばフォースに熟達していると思しき者が自身より未熟な者の騙し討ちに遭うシーンもありましたね。
改めて申します。フォースは森羅万象に介在してますが、才能に恵まれた者が相応の修行を経なければ技能として使いこなせないはずだったのです。なのに今シリーズでは、術者に非ざる者がアッサリ会得したり達人が失敗するのです。←視点を変えればこれは誰にでもフォースを扱える可能性があることを示すもので、今シリーズならではの更新に基づくものと思われますが、でもフォースをここまで手軽な存在にしてしまうのはGeorge Lucasが永年かけて築き上げてきた「スターウォーズ」の根幹を揺るがしかねない「暴挙」とも申せます。


「今シリーズならでは」が出てきたついでに、「: フォースの覚醒」でも感じた違和感が「: 最後のジェダイ」にも見受けられたので報告しておきましょう。
本作は2時間半に及ぶ長大な映画なのですが、驚くほど密度が高いんですね。
それは「飽きさせない」という好さもあるのですがとにかく情報量が半端なく、そのひとつひとつを理解しながら進もうとすると措いてかれそうなほど情報量が多いのです。
まぁ深読みせずとも楽しめるのが「スターウォーズ」の好さですし、幾度も見返す度に新たな発見があるのも「スターウォーズ」の魅力ですから情報量の多さは認めたとして、そこまで情報過多に描いておきながら本来描くべき描写が抜けてたとしたら、貴方はどう思いますか?
敢えて具体名は伏せますが、敵の宇宙船に乗り込んでたはずの味方が、別行動をとっていた仲間の宇宙船に乗って別の仲間のピンチに現れたとしたら疑問を覚えませんか?
そりゃ「: 新たなる希望」のソロ船長も去ったはずの前線に颯爽と現れましたけれど、でも彼は作戦会議に参加してましたし共に死線を潜ったルークに特別な感情を抱いていたと思しき伏線も張ってありましたから、突然都合よく現れても「借金の返済よりも弟分の方が心配だったんだな」と納得できました。でも「: 最後のジェダイ」ではそんな前フリもなく、いきなり現れちゃうのです。
そりゃ主人公側に都合の良い展開は確かに爽快感がありますが、でも私は、そこにご都合主義が垣間見えてしまうと萎えてしまいます。

他に挙げますと、もともと「スターウォーズ」にはその傾向がありましたが、「: 最後のジェダイ」は従来に輪をかけて和製コンテンツの影響を色濃く感じました。
前合わせの衣装チャンバラはもはや「『スターウォーズ』の『特徴』」と称せるところまで溶け込んでむしろ逆輸入されるほどですから今さらですが、今回だと例えばサンリオキャラクターのようなクリーチャーが目をウルウルさせてみたりどこかのアニメで見たような描写であったり、アメリカ人にとっては新しいのかも知れませんが日本人にとっては既視感のあるキャラクターや描写を散見したりして、演出上は気を持たせてるのですがその先のお約束が見えちゃうのです。

それからコレは指摘しちゃいけないことかも知れませんが、主演のDaisy Ridleyは少し太りましたか?顔は相変わらず可愛いですし腕や脚もスラッとしてますが、あのピッタリとした服だと両胸の下辺りも膨らんでたような…?
いきなり大ヒットシリーズの主演に大抜擢されて生活が一変しちゃったのかも知れませんが、レイはストイックなキャラクターなのですから、もう少し体型維持に努まれた方が好いと思います。←私が偉そうに言えた立場じゃないですがA--;


さて最後に念のため申し添えておきますが、冒頭で申し上げた「やりやがったな」は飽くまで「スターウォーズ」新シリーズの第2作目として見た場合の感想で、SFアクションとしてはもちろん「: フォースの覚醒」の続編としても見せ場がテンコ盛りの娯楽超大作でした。
ただネタバレ回避のため鑑賞後に封印を解いたレビューが押し並べて大絶賛ばかりだったもので、ひねくれ者の私としては苦言のひとつも申したくなっちゃうのです。
もしも改めて「: 最後のジェダイ」を見る機会があったら、その際は好いところも紹介したいと思います。
タグ:Star Wars
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