凝ったレースゲームをプレイしたことがある方ならば、マイガレージやレース前のパドックなどでマイカーの部品を交換したりセッティングしたことのある方も居られることでしょう。
私がパッとイメージするタイトルですと、「グランツーリスモ」シリーズにはかなり凝ったセッティング項目がありますね。
もちろん購入したてのノーマル車は殆ど弄れませんが、手取り早いところですと効率の良いマフラークリーナーに換えることで出力向上を図ってみたり、ミッションを換えることでクロス化を図ったりコースに合せてギア比を設定してみたり、操縦性の向上を図ってサスペンションを固くしたりなんてのは基本中の基本ですし、フレームの剛性を上げたりボディの軽量化や空力特性の見直しなんて項目もありますね。

もちろんこれらはゲームの世界の話ですから、それを趣味職業にされている方でもない限り、現実のマイカーをそこまで弄る方は稀でしょう。
実際、先般のヴェゼル購入に際して調べ漁ったオプション類も、ナビゲーション安全装置を除けば大半は文字通り「アクセサリー」と称しても過言ではないものばかりで、正直なところ私はあまり心が動きませんでした。
だってヴェゼルはノーマルでも充分格好良いですし、さらに申しますと前のアヴァンシアで判ってしまったのですが、「エアロパーツ」と云っても粘着テープで固定されている場合があるのです。
テープがヘタって浮いてきたエアロパーツなんて格好良いものではありませんし、そもそも粘着テープ如きで1,000kg超の巨体を御せる訳がないですからね。
もちろんドレスアップパーツとして割り切っている方であればオシャレであったり他車との差別化であったりといった目的があるのでしょうけれど、
改めて申しますが私はノーマルのままで充分格好良いと思っているので、敢えてドレスアップパーツを注文する気にはなれませんでした。


ただし、実用性に関わる部分は別です。
例えば私は、ヴェゼルの納車日にガレージを借りてピラーマジカルカーボンを貼らせてもらいました。
「マジカルカーボン」と云えば、多少は丈夫なのでしょうけれど本来はコテコテのドレスアップパーツのはずです。←しかし、試乗車の後席ドアノブ辺りの爪キズを見てしまった私にとって、このマジカルカーボンはスクラッチガードとしての意味合いが強く、「どぅせ付けるなら格好良いの」と思って選んだのがマジカルカーボンだった訳です。
本来の目的であれば後ドアノブを掴む際に指先が這う三角状の凹みに貼るだけで充分だったのですが、どぅせなら前ドアの開け閉めで触り得るBピラーも覆いたくなり、そこまでいくならA&Cピラーにも貼って統一感を持たせよぅと。←その結果がコチラ↓です。

上述の通り私はオリジナルのままでヴェゼルは充分格好良いと思っていましたので、オリジナルの印象を保ち続けたいと思っており、マジカルカーボンの選択は正解だったと思っています。←こぅ云うのを「自画自賛」と云うんですかねw

或いは私は、ホンダカーズで扱われていることを識って無限パーツも注文しました。
「無限」と云えば古くからホンダ車をベースにしたレース活動が有名で「MUGEN-HONDA」名義でF1エンジンを開発していたこともあって、少なくともホンダ車にとっては「準純正」とも呼べるチューンナップパーツのトップブランドです(←因みに二輪はHRCが有名過ぎますねw)
って別に私はヴェゼルを走り屋仕様に改造する気はさらさらないのですが、ヴェゼルを試乗して気になった数少ない不満のうち、その外観に不似合いな駆動音&後姿から覗く普通過ぎるマフラーを、「もう少し格好良くしたい」「どぅせ換えるなら無限マフラー」と思ってしまったのですね。
ちょうどスズキのバイクに対するヨシムラ製集合管のよぅなイメージ…ってもっと解り難いですかw←昨今は存じませんが、私がバイクに入れあげていた当時スズキ車は「標準マフラーをヨシムラに換えることで完成する」とまで云われるほど知名度・信頼性・期待度の高いものだったのです。
余談になりますがこのブログのアドレスにある「pop」は別にゲームが楽しくて跳ねているのではなく、伝説のチューナーでありヨシムラの創業者でもある故吉村秀雄氏の愛称「POP<おやじ>」から頂戴したものだったりします^^
…話を戻します。
「もう少し格好良くしたい」「どぅせ換えるなら無限マフラー」という動機を表面だけで捉えられると「ドレスアップ」の範疇に入ってしまうのかも知れませんが、14年の隔たりがあるとは申せ2.3Lから1.5Lに排気量がダウンすることによって生じた力不足を気分だけでも補いたいとの思いがその根幹にあります。
マフラーをせいぜい音質を変える道具として捉えてらっしゃる方には「たかが」と思われてしまうかも知れませんが、私は、上述で紹介したポップ吉村の伝説を若い頃に知ってしまったために、マフラー=パワーアップとしか捉えられなくなっているのです。